政治・宗教・歴史……カタイ話をヤワラカクは無理ぽw
by youz
カテゴリ
政治
宗教
歴史
その他
以前の記事
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
フォロー中のブログ
週刊!Tomorrow'...
◆木偶の妄言◆
七生亡国
ジャパン・ハンドラーズと...
新聞読んだ?
とくらBlog
このままでいいの?ニッポン
静かなる革命2009
T.N.君の日記
漂流生活的看護記録
世に倦む日日
最新のトラックバック
trip mileage..
from trip mileage c..
pointing labs
from pointing labs
lacquer wood
from lacquer wood
army surplus
from army surplus
learn to pla..
from learn to play ..
dansko sandals
from dansko sandals
dextromethor..
from dextromethorphan
link
from link
strontium su..
from strontium supp..
url
from url
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


素晴らしい問題提起、そして悲しい結論

世界平和のために出来ること

私が勝手に尊敬しているブロガー「gold-line氏」が、素晴らしい問題提起をしてくれた。
政治的にはことごとく私とは逆の意見の方ではある。
だが、政治的な思想はともかく、参加者に同調性を強要しないという点で、ブロガーとして尊敬できる方だと思っている。希有な、といってもいいくらいなのは残念なことだが。

ブログはいわば個々のブロガーの私有物であり、コメントを受け付けないようにもできるし、トラックバックを削除することもできる。トラックバックの中にはアダルトサイトのような業者による無差別トラックバックもあれば、二重トラックバックもある。それらを整理することはブロガーの正当な権利だろう。
(当方はフタケタのトラックバックが寄せられたことのないような零細ブログだから、二重トラックバックはおろか業者すら放置であるw)
だが、仮にも政治的な意見を披瀝する以上、それには強力な反論を覚悟せねばならない。反対意見が書かれたブログからのトラックバックを一言もなく一方的に削除したり、反論が記されたコメントを「荒らし、煽り、誹謗中傷」と決めつけるようではいけないのだ。(むろん参照数が10,000/Dayを超えるような人気ブログであれば、コメント欄を閉鎖するのも致し方ないところかも知れぬが、それはまた別の問題である)
そうした観点から見た場合、gold-line氏は反対意見が記されたコメントにこそ真摯に対応しておられ、まことに好感がもてる。

gold-line氏に(一方的ながら)敬意を払い、その設問への回答と考察を行っていきたい。



A."なぜ、武装するのか?"
回答は「自国以外に武装した国があるから」である。
捕捉すると、武装した国と武装した国の間では平和すなわち秩序ある外交関係が保たれる可能性が高い。日本が完全にまったくの非武装であったとしたら、その日本を侵略するか否かの自由な――軍事的にはノーリスクの――選択権を常にいくつかの隣国に握られることになる。
また「武力を持たなければ戦争にならない、万一侵略を受けても平和裡に占領される。それは、戦って犠牲者が出るよりましだ」 という意見もあるが、この場合、極端な話ではあるが武装した「彼ら」は、非武装の「われわれ」を虐殺する自由も得る。
したがって日本は武装する。

B."武装しないと侵略されると思うか?"
政治指導者はそのほとんどが平和主義者である。
だがそれは「自国民を死なせ、自国民の財産を大きく損なう可能性がある」「自国が敗戦の憂き目に遭う可能性がある」「敗戦によって自らの権力が覆る可能性がある」という理由があるからだ。
前項の回答と重複するが、ある国(ことさら日本である必要はない)が国防を完全に放棄している場合、その周辺国の指導者は上記の懸念から自由になる。つまり彼らを平和主義者たらしめている理由が存在しなくなる。
そのような状況にあって、日本の周囲にある国々におけるすべての指導者が平和を好み、他国への侵略など考えもしない……という状況が永続する可能性は高いものではない。
実際の武力侵攻が起きるか否かは別として、日本人は常に侵略に怯えながら暮らさざるを得ない。
また蛇足ながら、日本は世界屈指の経済大国であり、その国を攻撃したら国際世論が~という意見が予想されるので、自国を守る意思と能力を名実ともに放棄した国が経済大国であり続けることは不可能であると申し上げておく。

C."日本も核を保有して武装すれば、米国に頼らず対等な立場になれる?"
どのような状況を想定しているのかが不明であり、何をもって対等というのかも不明であり、回答のしようがない。
逆に、米国を頼れない状況になったら、あるいはそうなる可能性がきわめて濃厚であれば、核武装せざるを得ないだろう。米国に頼りたくないから核武装とは本末転倒である。
また、米国と同様に核保有国であり、日本と同様に米国ありきの安全保障体制を組んでいる英仏は、果たしてそれぞれ米国と対等であるか。そのレベルの対等であれば、日本はすでにそれに準ずる立場にはある。

D."日本は中国や北朝鮮から侵略される?"
「侵略」という言葉の定義によるが、もっとも狭い意味の侵略であれば可能性は低い。
日本と中朝(ついでに韓)の軍事バランスが現状のままであれば、軍事的挑発を受けることはあっても、本格的な武力侵略を受ける危険性はきわめて薄い。
現在の軍事バランスというのは、攻めた方が必ず負けるであろう状態であり、平和を保つためには理想的といってよい。

E."国連はなんの為にある?"
各国の利害調整機関として。
特に小国にとっては意見表明の場としてきわめて貴重なものである。
(しかしながら各加盟国に対する強制力=常設的な軍事力を付与するべきではない。国家主権を超えるような権限と強制力が付与されたら、国連の強大な権限と超大国の国家主権の間で対立が起きることはほぼ確実であり、双方に強制力=軍事力がある以上、大規模な戦争に発展する可能性もある。国連自身が世界大戦のリスクを高めることにつながる)

さて、以降はgold-line氏への回答ではなく、私なりの戦争観である。
戦争にはさまざまな要因がある。
宗教や民族による対立、資源を巡る対立、交易における対立、領土による対立、指導者の感情による対立、イデオロギーや政治体制による対立、富の再配分をめぐる対立、……そしてごく近年であれば特定産業界による煽動、という話もある。

結論から言ってしまうと、人間は戦争が好きなのである。
好きというのが言い過ぎであれば、人間の業である、と言い替えよう。
上記の要因によって戦争を起こすのではなく、戦争を起こす口実にそれらを使うのだ。
歴史を顧みれば、動機の分からない戦争、誰も得をしなかった戦争などいくらでも転がっている。まだ軍需産業などというものが存在しなかった近代以前においても同様である。
例は無数にあるが、古代においてはイタリア半島を舞台に起きた第二次ポエニ戦役、近現代にあっては第二次世界大戦という、二つの極端な事例を挙げよう。

第二次ポエニ戦役で最大の主役となるハンニバルは、戦役前はイベリアのほとんど全域を統治していた。彼個人としては第一次ポエニ戦役で敗将となったハミルカルを父にもったという動機はあっただろう。だが本国カルタゴはローマとの再戦を望んではいなかった。カルタゴはハンニバルを支援しようにも、地中海の制海権はローマに握られていた。イタリア半島内でのハンニバルは孤立無援で戦うほかなかった。彼はイベリアの事実上の王として安楽に暮らすことも可能だったし、彼の部下たちにとってもそれは同様である。
しかしなぜか彼は兵を挙げてアルプスを越え、イタリア半島に攻め入った。
第二次ポエニ戦役中のハンニバルのほとんど悪魔的な活躍については到底ここで述べることはできない。詳しい本が多数存在するのでそちらを参照されたい。
最終的にハンニバルはイタリアを放棄し、根拠地であったイベリア半島をも奪われて北アフリカに逃げ帰らざるを得なかった。そして北アフリカではスキピオ・アフリカヌス率いるローマ軍の前に惨敗を喫し、カルタゴは事実上ローマの属国になった。
しかしこの結果をもってローマが得をしたといえるだろうか? 答えはもちろん否である。

そして戦争の規模は三ケタほど違うが、敗者はもちろん勝者も被った惨禍に見合うものを何一つ得なかったという点で、ハンニバル戦争と同様なのが第二次大戦である。
敗者である日独およびその諸同盟国については言うまでもない。英仏はアジアの植民地を、後にはアフリカの植民地を失い、帝国主義は終わりを告げた。米国は、莫大な支援を続けてきた国民党の内戦敗北、そして続く朝鮮戦争にいたって、日本から奪い取ったはずの中国市場に踏み込む間もなく叩き出され、おまけに共産圏からの東アジア防衛を日本の代わりに務めざるを得ないという皮肉な事態に陥り、これが後世のベトナム戦争につながる。ではこの戦争によって、国際連盟から除名されていた状況から一転、新国連の常任理事国となったソ連はどうだろう。
2000万という数字が誇張であるにしても、軍民合わせて1000万前後の犠牲を出しており、その被害は日独を凌ぐ。戦後の二大強国の一翼という立場を得たにしても、国民の数%が死ぬという代償は果たしてそれに見合うものだったか。
中国は日本の敗戦と撤退を受けて大規模な内戦が再開され、これによる犠牲は酸鼻をきわめた。この戦争でも、やはり得をした者などいない。アメリカは西側陣営の盟主として英仏の上に君臨することになったが、それは第二次大戦の結果としてそうなったのではない。第一次大戦終結時点で、すでにアメリカの国力は世界一であった。

もちろん個々の人間すべてが好戦的というのではない。
好戦的な者もいれば争いを嫌う者もいるだろう。
だが人間が集団として、別の集団に対したとき、彼らは中長期的な利益を、ときとして短期的な利益をも度外視して「敵を殺す」ことに集中する。――このようなことが歴史上たびたびあった。決していくつかの戦争のみが特例というわけではない。
集団の長は、気の利いた者ならば兵士達に戦う意義を与える。
それは祖国の防衛であり、他国への復讐であり、虐げられた民衆の解放であり、民族の独立であり、人権と自由と平和のためですらあった。

ふたたび結論。
戦争は人間の業である。
そうである以上、平和を守るためにいかにすればよいかを論ずるには、この業をいかに制御するかにかかってくる。戦争をした先に大きな利益がなかったとしても、巨大なリスクが視野から消えたとき、人間は戦争を始める。あるいは始めようとする。
俗な名を挙げるが、マキャヴェリは「国家防衛のための手段を選んではならない」と述べ、クラウゼヴィッツは「戦争は政治上の目的を遂げるための一手段」と明確に定義した。
クラウゼヴィッツは19世紀プロイセンの人だが、その彼がわざわざこのような文を書かねばならないこと自体、また彼の著作「戦争論」がほとんどこの一文によって世に知られたということ自体、「政治的に無目的な戦争」がいかに多かったかという証左にならないだろうか。
戦争を防ぐためには、目に見える兵器を突きつけあい、全面戦争となったらいかなる惨禍に見舞われるか、わずかな武力衝突が全面戦争を招く可能性がどれほど高いか、という確認をお互いにし続けなければならない。そうでない限り、人間は戦いを始めるのだ。全世界が非武装化されたら、素手ででも。

追記
ここで具体的な方途として憲法9条の改正が視野に入る。
これは当然改正すべきである。9条と言わず他の条文もね。
日本が理性的な思考をし続けなければならないのは当然として、他国に理性的思考を常に強いるためには、日本に手を出したら痛い目に遭う、ということを分かりやすく理解してもらっておくことが重要。そして日本の側としては、「中国(韓国)に手を出しても大したことないんじゃない?」と思うに至るほどの軍拡をしてはならない。当然だね。
他国の軍事拠点への空爆能力、他国領空における戦闘能力までは許容範囲としても、他国に大兵力を送り込むことが可能になるほどの大増員と主力戦車を搭載可能な揚陸艦建造はすべきではないと思う。
[PR]
by youz | 2005-10-23 03:46 | 政治
<< 残念?な話 処分そのものは正当。だが… >>