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小泉は靖国参拝せざるを得ない

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まず自分のスタンスだが、日本が戦前も戦後も日本であり続ける以上、国策によって命を落とした人々に対し、日本国の政治的代表者であり陸海空三自衛隊の最高司令官でもある総理大臣が「謝意」を示すのはごく自然なことだと思う。
だが8/15にそれを行うのを義務だとまでは考えない。また参拝によって巨大なデメリットを被るのであれば、自身の参拝を控え、政府代表あるいは総理名代として閣僚の一人を送るくらいに留めてもよかろう。(ここでは公的か私的かという馬鹿馬鹿しい議論はしない)

非常に皮肉な事態だが、小泉とその政府は、二つの事情によって、最後の小泉劇場とでもいうべき「劇的な」靖国参拝を必要としている。




一つは中国との関係。彼らが止めろと言っている。そこでいかに自主的な判断だと強弁しても、中国の圧力に屈したという印象は免れず、後継総理の選択肢を狭めることになる。また、止めろと言われてただ止めるのでは、靖国参拝を止めることで中国に貸しを作る機会を永遠に失うことになる。たとえば近い将来、中国の権力中枢に親日的とまで言わずとも日本に対してきわめて宥和的な指導者があらわれる可能性は低いものではない。靖国カードを留保することによって、そうした「日本にとって都合の良い」政治指導者の地位を上げるというオプションが手に入る。神社一つに行く・行かないというだけで、である。この選択肢を得るメリットに比べれば、現在の冷えた関係などは些細なことでしかない。

もう一つは富田メモである。こちらの方がより重大である。このメモの存在と公表によって、小泉が「穏便に」「国内外に対面を保ちつつ」靖国参拝をやめるレールが敷かれたと評する向きもあるが、自分はそれは真逆であろうと思っている。今まで、国内外から小さからぬ批判を浴び、生臭いほど政治的課題となってしまった靖国参拝を、小泉はここまで毎年続けてきた。富田メモの真贋を論ずる気はないが、「先帝の意向が記されたメモ」があらわれたことによってそれをやめるとなればどうだろう。公式であれ非公式であれ天皇の意向は、内閣総理大臣の政治的判断より重いということになる。それでいいのだろうか? このメモはあくまで国内問題であるが、昭和帝の遺志とされるメモが発見される都度、政治的判断を変えるべきなのだろうか。民主主義国家の政府として、それは恥ずべき行為ではないか?
「憲法九条は変えるべきではない」という「メモ」が見つかったら、自民党は結党以来の党是を捨てるべきか? また逆に、「広島長崎を繰り返さぬために自力で核武装すべき」という物騒な「メモ」が見つかったら、NPTを蹴っ飛ばして核武装に走らざるを得ないのだろうか。
もちろん答えは「否」である。
憲法の問題も軍事力の問題も、国民と国民によって選ばれた政治家の議論によって方向付けられ、決められるべきことである。
天皇は敬うべき存在である。
だが、内閣の判断はあくまで内閣が責任を負うべきものであり、小泉純一郎個人の判断はどこまでも彼個人が責任を負わなければならない。その判断と行動に「ご聖断」を仰ぐような姿勢は、立憲君主国家において民主的に選ばれた最高行政官として、決してあってはならないことだ。

戦前の日本ですら、天皇に判断を求めることは最大級のタブーであった。自らに判断する能力無しという無能さ、天皇に政治責任を負わせるという不忠、その二重のレッテルを受け入れることになるからだ。政治においては内閣が、軍事においては陸海軍首脳が、それぞれ責任を負うものであったのだ。
(それが破られたのは、二・二六事件への対応と、敗戦を受け入れたときだけだ)

先帝の一言(しかも公式発言ですらない覚え書き)で首相の姿勢や政府の施策が変わるのであれば、日本の政治的安定も諸外国の信用も一瞬で地に墜ちる。

女系天皇問題の際、私は小泉の皇室の伝統に対する無知と鈍感さを批判した。
彼はその問題に関して無知でありまた鈍感でもあるが、政治という自分のフィールドにおいて何を守るべきかは知っていよう。「先帝が仰ったのだから仕方がない」が通ってしまうことがどれだけ危険かを。

富田メモに対する論評や考察は、あくまで歴史学の見地から行われるべきであり、それを政治の実務者が意識する必要はない。意識してはならないのだ。
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by youz | 2006-08-10 01:51 | 政治
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