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マスコミの自浄作用

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判定変更に批判的 WBC日米戦で米各紙 [ 03月13日 22時40分 ]
共同通信

 【ニューヨーク13日共同】野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)2次リーグの米国-日本で、西岡(ロッテ)のタッチアップでの生還の判定が覆ったことは、13日付の米各紙でも取り上げられ、判定変更に批判的な論調が目立った。
 USAトゥデーは試合展開よりも、事の経緯を詳しく紹介し「テレビのリプレーを見る限り、西岡の判定を変えたのは間違いである」と主張。ニューヨーク・タイムズ紙は「野球を通じて友好を深めるはずの大会で、最初の事件が起きた」と批判した。



WBCがアメリカのアメリカによるアメリカのための大会であるということは、MLB機構およびMLB選手会が頑として主催権を譲らなかったことからも容易に想像がつく。
そのために、共同組織委員会形式を提案し、一議もなく拒絶された日本(というよりNPB)があわや出場辞退という騒ぎになったことは記憶に新しいところだ。

あのジャッジ変更が最大限好意的に見てもミスであるということに異論を挟む者は少ない。
強いていえば審判その人とアメリカ代表の監督くらいだろうか。

だが、政治的な文脈でこの問題を考えるべきではない。



あまりにもヒステリックな論調が目立つ。
「誤審」によって勝敗が左右されたのは事実だ。
一死満塁から犠牲フライ。
もしあの得点が認められていたなら、二死一二塁となっていたなら、上位下位の差などあってなきがごとしの打線でもあるし、追加点を期待できる場面であった。追加点がなかったとしても、9回裏登板したのは延長を見越して今大会今ひとつコントロールの定まらない藤川球児ではなく、大塚だったはずだ。

だがこれらも野球あるいは野球界の出来事であり、「これだからアメリカは」だの「アメリカ人は日本相手なら何やってもいいと思ってる」などといった論調には賛成できない。
MLBが果てしなく傲慢であるのは今に始まったことではない。WBC開催の経緯にしてもそうであるし、五輪ではプロ選手の参加が解禁された後もMLB所属選手の出場を拒み続けてきたことからも明らかだ。

米国のメディアがこの「疑惑の判定」について誤審と断じ、米国チームは幸運にも勝ちを拾ったと見なしていることは、この問題にあってささやかだが大きな救いであり、あらためてアメリカという国の懐の深さ、あるいは多面性を伺わせる。
もっとも、意地の悪い見方をすれば、米国メディアすらWBCにそれほど価値を見出していないことの証左といえるかも知れないが……。

引き合いに出すのもどうかとは思うが、2002年W杯において韓国はベスト4に入ったが、そのとき韓国内に、審判の判定を批判した、あるいは疑問を呈したメディアがあっただろうか?
(今回の件で日本のタブロイド紙以上に激烈に米国を非難したメディアが韓国の有力紙だったというのは、一種のブラックユーモアであろう)
また、球技ですらないが、つい最近の話題として、亀田のローブローによる勝利に批判的であった日本のメディアがどれくらいあっただろうか?

あの疑わしい判定(判定内容が間違っていたことは議論の余地がない。疑わしいのはそれが何らかの意図によるものだったかどうかだ)と何とも後味の悪い負け方。
しかし勝者の側に立ったメディアのこの対応は、米国でスポーツがいかに愛され、いかに発展してきたかということを理解する一助になるであろう。

なんだか米国を誉めてるのか貶してるのかよく分からん文章になってしまった。
乱文ご容赦。
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by youz | 2006-03-14 04:29 | その他
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